JS BAR

バーでの独り言

著作権法とクリエーターについて

日本は著作権法が厳しい。高度経済成長時代、アメリカのモノマネをして世界一の経済大国になったのにである。もちろん勝手なコピーはいけないと思う。しかし、この著作権法が実際には大きな弊害になっているのである。

もともと著作権は個人の権利として作られてきた。個人が法人といった巨大な組織が勝手に利用されることを防ぐためである。しかし、現在は、法人を守るためが主流であり、個人を守る目的はない。

音楽を代表として、個人が訴えることはない。著作権保護団体が代わりに訴えてくれる。しかし、考えてみればこれはおかしことで団体が訴えれば逆に利用者にとっては不利な判決になりやすい。つまり現在は著作権法と言うのは団体が名目上個人の著作権を守るということで利用者に対して厳しく接しているのである。

芸術を学ぶときにはまずすでに有名な芸術家の作品を学ぶところから始まる。模倣をすることはクリエーターにとっては当たり前である。漫画家志望の少年少女が好きな漫画家をトレースするのは当たり前である。

この模倣こそが芸術を高めてきたのであるが、現代はそれがかなり厳しくなってきている。音楽の世界では練習しているときにも著作権料を払わなければいけないのだ。

youtubeが普及したときにたくさんの往年のテレビ番組がアップされた。それは今でもそうだが、youtubeを魅力的にさせる重要なコンテンツとなった。現在は、youtube著作権を厳格に守っているが、全てがなくなったわけではない。

もし、日本でyoutubeをやろうとしたらgoogleの社長は逮捕されていただろう。日本人の多くはザマアミロgoogleめということで一件落着なのだ。

そう、我々は未来のgoogleを潰してきたのだ。

検索エンジンも以前は著作権に違反していた。もっと言えば、コンピュータのキャッシュ自身も著作権に違反していたのだ。

アメリカの検索エンジン会社は日本にキャッシュサーバーとして保存したのである。しかし、誰も逮捕されない。

日本は法治国家ではない。いまだに占領されている植民地主義的な国家である。アメリカの言うことは善でそれは日本では治外法権である。

僕はアメリカが好きだ。IT外資系で働いていたのだが、とても楽しかった。彼らはフェアな考え方をする。しかし、一旦、日本国家として対峙するといきなり植民地として態度が変わる。自国に不利なことは絶対にやらないのである。

日本は江戸時代まで著作権がなかった。そのため模倣がたくさんの文化を生み出した。しかし、婚姻制度と同じく急に法律を押し付けられた。もちろん多くの制度は民主主義に不可欠であり、我々は民主主義国家としての自覚がある。

勘違いしてはいけないのだが、日本は決して民主主義国家ではない。民主主義をきちんと学んでいないし、抗議活動や反論を許さないのだ。沈黙の全体主義なのである。

今、多くの若者は実質賃金が下がって暮らせなくなっている。このような状態でも暴動も起きない。ただただ耐える国民がある。

日本には多くの才能あるクリエーターがいる。しかし、こうしたクリエーターの多くは金銭面で不利で、要は食べていけないのだ。

このような状況の中で、一部の作品の厳格な著作権を行使することはクリエーター活動を妨げているのだ。

youtubeで音楽をタダで聴いていることは許せない。という有料のyoutube premiumの方がいるが、人が無料か有料かを気にすることはないのだ。それでも自分よりも楽しているとか儲けているのが悔しくて告発する民度の低い人が多い。

このような民度では世界で戦えるクリエーターを作ることは難しいのだ。

 

模倣されること模倣することが両方守れるシステムは作ることができるともう。しかし、現実には何も起こらない。