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バーでの独り言

結婚の終了

西洋から持ち込まれた習慣が根付いているように思えるが、実はつい最近まで西洋文化を拒絶してきたのだ。形ばかり真似して来て、本質は日本人に合うように変形したのだ。

例えば民主主義というイデオロギーも今でも我々にはピンとこない。民主主義とは国民が政治に参加することが前提である。つまり国民が政治に責任を持たなければならない。しかし、現実には戦国時代と変わらず、お上が決めることを従うことに慣れている。

いろんな習慣が明治維新後や第二次世界大戦後に入ってきたが、その中で結婚にフォーカスを当てると、戦後、恋愛結婚というのが普及してきた。1980年以降恋愛結婚が増えてきた。しかし、現実にはお見合い結婚が半々で、2000年以降になってようやくお見合いがほとんどなくなったのだ。

しかし、日本人が恋愛ということを習慣化しているかというとどうだろうか。イタリア人をすぐに口説く人と馬鹿にする日本人が恋愛をできるとは思えない。イケメンのように受け身でしか恋愛できないのではないだろうか。

最近、結婚率が下がっている理由としては恋愛ができないというか恋愛をすることが文化として根付かないこの国で流行りが終わったのだ。バブルをピークに恋愛を日本の文化として根付くことができなかったのである。

考えてみれば、夫婦仲が良い親を持っている人がいない。男女は仲良くするということが西洋では当たり前の文化を日本人は理解できなかったのだ。

アジアは家族を基本単位で、子供を大切にする文化である。反面、西洋は夫婦が基本で子供はその次である。有名な話で火事で奥さんと子供をどちらを助けるかという話をすると、西洋では奥さんと言う話がある。子供はまた作ればいいという冷たさである。アジアの人には理解できない。

つまり、基本的な結婚制度もアジアと西洋は考え方が違うのである。

子供が産まれると夫への対応が冷たくなり不倫をすると言う話をするのは、夫は西洋的で、妻はアジア的というすれ違いなのだ。

今、妻も働くようになり、家族の立場が対等となっている。そうなると西洋的に個人の愛情を主体にした結婚を望むのだ。それは西洋化である。そうなると蘇従来の子供ファーストとならなくなったのだ。

少子化の問題は、世代的にこの結婚観、家族観が変わってしまったのだ。もう、子供のために犠牲にする生き方をすることはないのだ。年寄りには信じられないことだが、それは完全に考え方が違うのだ。

もう、日本はつい最近まで続いていた家族観に戻ることはないだろう。復活するのは恋愛することに国民がなんのためらいがなくなるまでは少子化は続くだろう。将来は激しい恋愛感覚を持つ移民が増えるのは間違えない。

著作権法とクリエーターについて

日本は著作権法が厳しい。高度経済成長時代、アメリカのモノマネをして世界一の経済大国になったのにである。もちろん勝手なコピーはいけないと思う。しかし、この著作権法が実際には大きな弊害になっているのである。

もともと著作権は個人の権利として作られてきた。個人が法人といった巨大な組織が勝手に利用されることを防ぐためである。しかし、現在は、法人を守るためが主流であり、個人を守る目的はない。

音楽を代表として、個人が訴えることはない。著作権保護団体が代わりに訴えてくれる。しかし、考えてみればこれはおかしことで団体が訴えれば逆に利用者にとっては不利な判決になりやすい。つまり現在は著作権法と言うのは団体が名目上個人の著作権を守るということで利用者に対して厳しく接しているのである。

芸術を学ぶときにはまずすでに有名な芸術家の作品を学ぶところから始まる。模倣をすることはクリエーターにとっては当たり前である。漫画家志望の少年少女が好きな漫画家をトレースするのは当たり前である。

この模倣こそが芸術を高めてきたのであるが、現代はそれがかなり厳しくなってきている。音楽の世界では練習しているときにも著作権料を払わなければいけないのだ。

youtubeが普及したときにたくさんの往年のテレビ番組がアップされた。それは今でもそうだが、youtubeを魅力的にさせる重要なコンテンツとなった。現在は、youtube著作権を厳格に守っているが、全てがなくなったわけではない。

もし、日本でyoutubeをやろうとしたらgoogleの社長は逮捕されていただろう。日本人の多くはザマアミロgoogleめということで一件落着なのだ。

そう、我々は未来のgoogleを潰してきたのだ。

検索エンジンも以前は著作権に違反していた。もっと言えば、コンピュータのキャッシュ自身も著作権に違反していたのだ。

アメリカの検索エンジン会社は日本にキャッシュサーバーとして保存したのである。しかし、誰も逮捕されない。

日本は法治国家ではない。いまだに占領されている植民地主義的な国家である。アメリカの言うことは善でそれは日本では治外法権である。

僕はアメリカが好きだ。IT外資系で働いていたのだが、とても楽しかった。彼らはフェアな考え方をする。しかし、一旦、日本国家として対峙するといきなり植民地として態度が変わる。自国に不利なことは絶対にやらないのである。

日本は江戸時代まで著作権がなかった。そのため模倣がたくさんの文化を生み出した。しかし、婚姻制度と同じく急に法律を押し付けられた。もちろん多くの制度は民主主義に不可欠であり、我々は民主主義国家としての自覚がある。

勘違いしてはいけないのだが、日本は決して民主主義国家ではない。民主主義をきちんと学んでいないし、抗議活動や反論を許さないのだ。沈黙の全体主義なのである。

今、多くの若者は実質賃金が下がって暮らせなくなっている。このような状態でも暴動も起きない。ただただ耐える国民がある。

日本には多くの才能あるクリエーターがいる。しかし、こうしたクリエーターの多くは金銭面で不利で、要は食べていけないのだ。

このような状況の中で、一部の作品の厳格な著作権を行使することはクリエーター活動を妨げているのだ。

youtubeで音楽をタダで聴いていることは許せない。という有料のyoutube premiumの方がいるが、人が無料か有料かを気にすることはないのだ。それでも自分よりも楽しているとか儲けているのが悔しくて告発する民度の低い人が多い。

このような民度では世界で戦えるクリエーターを作ることは難しいのだ。

 

模倣されること模倣することが両方守れるシステムは作ることができるともう。しかし、現実には何も起こらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のマスコミは最低だ

ネットが普及して、今まで隠蔽できた情報が拡散するようになり、マスコミが意図的に隠していた情報が明るみに出てきたことで、やはり我々の国は民主主義ではないという確信がある。

民主主義という日本では誰もきちんと学ばないこの国で、何となく民主主義、建前としての民主主義が今の日本に溢れている。

ジャニーズ問題が最近起きた最たるものだろう。マスコミは誰でも知っていたはずだ。なぜならば自分でも知っていたからだ。それなのに誰もそれを追求しようとしなかったのは日本の歴史の汚点となるだろう。何となくこの国は民主主義ではないとわかることが大人になるということなのかもしれない。しかし、それは今後の日本では通用しなくなるだろう。

我々は先進国と言われているし、国民の多くもそれを自覚しているが、海外から見ればそれは異質な国でしかない。それがネットによって言語の壁を越え出したのだ。

移民を入れれば何が起こるかといえば、暴動であろう。日本人のように黙って事なかれ主義ではない民族によって国家に対する不満はこれからどんどん増えていく。それとともに日本人がもともと持っている差別主義とぶつかり国は大きな曲がり角になるだろう。その上、チャンスに恵まれない人々が増えることで、この国は戦前のような緊張感を持つに違いない。

これから起こることを予言したところで、回避する方法はない。マスコミに洗脳された老人がどんどん死ぬことで、洗脳から目覚めていくのだ。

自民党がこのまま何もしなければ、衝突は別な形でどんどん行われる。

アメリカはどんどんCIAによる傀儡政権が崩れきており、反米は世界に広がっている。残念ながら日本はこれから反米になっていくと予想される。それは我々の遺伝子が反米だからである。今まで幸せにしてくれた恩があるのはもちろんだが、いつまでも続かない。家康だって信長の恩を忘れてはいないが、だからと言って恩だけでは生きていけないのである。

マスコミはGHQによって開局されているのは事実であり、CIAの下部組織であることもわかっている。

我々はこの中途半端な日本という国で今まではのんびり生きられてきたが、アメリカが弱くなるにつれていよいよ大変なことになるだろう。アメリカについていっても苦しくなれば、背に換えらぬのである。

私はいつそうなるかはわからないが、そう遠くない時になるだろう。そしていよいよ我々は全てを改革することになる。

ノーベル賞が出なくなった時に日本は終了する

数学、物理、科学という学問を進化させてきたのは西洋に他ならない。日本は明治以降、西洋を取り入れて教育改革を行い、現在は学校で習う理系の科目である。しかし、その科目に日本人がリスペクトするのはあまりない。弁護士や医師に比べて学者は評価されないのだ。特に基礎研究や理論的なことに関しては日本ではあまり評価されないのだ。

文系、理系ということにとらわれず我々がここまで発展できたのは科学に他ならない。科学がなければ江戸時代と変わらない生活をしているのだ。しかし、日本人の意識のどこかで科学に対するリスペクトはどんどん失われていく。拝金主義に変わっているのだ。拝金主義自身に罪はないが、それによって日本人のものの考え方がどんどん俗物的になってしまった。

この俗物さは現在において特にひどくなっている。エンジニアの地位は下がり、プログラミングで生活できる人がどんどん減っているのである。

今は産業構造の変革がなくなり、世界的に稼げない仕事ばかりが増えている。ハードウェアを作る能力はなくなり、いわんやソフトウェアである。

我々が衰退する大きな原因は我々自身が科学をどんどん馬鹿にしてきたからに他ならない。明治での文明開花の時の貪欲さはもうない。もう国民が新しいことを勉強するのが嫌になったのである。

残念ながらどんどんどんどん科学は進化しており、ITも進化している。従って、会社においてソフトウェアの必要性は高まっているのだが、全然プログラマーがいないのだ。技術者もいない。ないないなのだ。

外国からのエンジニアを増やすつもりだろうが、エンジニアの待遇は年々国際的に上がるのに日本は下がっているために誰も来ないだろう。従って、今いるエンジニアで何とか食べていかなければいけないのだ。

日本は最初から後進国であった

いつ勘違いしたのだろうか。日本人が日本という国を過大評価してしまったのは、

あなたが勉強してきた教科書で数学や理科などの理系的な科目の体系はヨーロッパやアメリカが作り上げてきた学問の成果である。文明社会の基礎はやっぱり西洋の人たちが築いてきた。東洋はそこまで発展しなかったのである。また音楽などの芸術も同様である。現在、クラシックと呼ばれるジャンルは西洋が中心なのだ。

戦後の経済成長は我々に自信を与えてくれた。それは事実である。日本人というアイデンティティを確立することができたのだ。しかし、西洋文明の恩恵を受けたことであり、日本人が作り上げた文明ではないのだ。

今、経済成長が停滞し、GDPが年々落ちているが、日本が世界の先端ではないという証拠である。つまりバブルが終わってから我々は何も進化していなかったのだ。

最近のアニメの転生ブームを見ると、日本人は精神性は戦前から強く保持していたのだと思う。魂の存在も戦前では当たり前のように確信していた。戦後、大事な精神性を壊したことで、日本は一緒の根無草となってしまったような気がする。

私は個人的にスピリチュアルなことに大変関心があるが、人には話さないようにしている。やはりこの国はもう精神性を語る土壌はない。人はなぜ生きているのかといった根源的な悩みを解消する哲学や宗教を持つ者は少ない。

日本が曲がり角に来ているが、それは日本人がもう今までのやり方では生きて行くことができない証拠なのだ。これから起こることは我々の心の変革であろう。それは今までの価値観を捨てることでもある。それはとてつもなく苦しいプロセスのように感じるが、実際は若い人はもう気がついている。私の世代のような日本が勘違いした世代には辛いのである。

物質文明という言い方はもう古臭い言い方であるが、それでも敢えて言えば、物に執着する生き方を我々は捨てなければいけなくなってしまったのだ。しかし、それは世代的にはかなり先になるだろう。

若い人は日本に期待していないし、日本が偉大な国だとは思っていない。冷静に自分の国を見ている。東洋の一国家として見ているのだ。だから、この国が衰退していることに驚きはない。

よく政治が悪いとか国民が悪いというが、私はそんなことはないと思う。敢えて言えば日本が豊かになったことでホッとしているのだ。それがしばらく続くのは仕方ない。昭和はやはり不衛生なトイレの匂いと汚い家屋とビル、タバコの匂いが充満していたからである。

小さい頃を思い出すと街が汚かったのは当たり前であった。その頃に比べれば街は綺麗になり、人々は衛生的になった。しかし、心はまだ昭和のままである。

最近、日本人はそれほど親切でも優しくもないという意見が出てきているが、私もそう思う。弱い人への態度が優しくない。負けた人間に対しての忌避は強い。戦国時代の名残であろうか。勝軍についていくことを余儀なくされたからであろうか。

これから日本は衰退するだろう。論理的な考え方や独立心が足りない国民性が強いからだ。情緒的でお上に依存する気質である。そういう国家が世界の激しい頭脳戦に勝てるとは思えないし、そもそも勝とうなんて思ってもないからだ。

衰退し地位は低下するだろう。それを見ることになるだろう。

生きるということは時代の目撃者であり、そこを舞台とした俳優でもある。読者も今生きている全ての者も経験するこの人生は日本という国がこれから苦難の道に進むことは理解していると思う。

生きていれば最低限のエゴは持たなかればいけない。どんな時代であっても生きている以上その世界その時間においてサバイバルしなければいけないのだ。どんな理不尽な世界であろうとそこで煩悩を満たすために活動しなければいけないのだ。そこを放棄することは生まれることを放棄することと同じである。だからいくら抽象的なことを書いても話をしても意味はないかもしれない。しかし、それでもこの日本の衰退を回避できればと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マスクをし続ける亡国の民たち

日本はいまだにマスクをし続ける人が多い。エチケットとしてつけているといえばいいが、あんあ市販のマスクでウィルスを防ぐことはできない。自分の唾液を飛ばさない効果はあるが、1人で移動中に話す人はいない。にもかかわらず、マスクをしているのだ。

マスクをしない人に対する文句がなくなったのは唯一いいことだが、やはり大半の人がしていることはこの国の体質みたいなものを感じる。

最近、岸田首相の人気がないと言われているが、それよりも自民党の支持率が下がっていることの方が自民党の先生方は恐れているのだ。コロナが終息して財政の健全化のためとはいえ、国民はもう所謂「失われた30年」に疲れ切ってしまった。今増税すれば、国民はもう一揆するしかなくなるだろう。一言で言えばヤバい状態なのだ。だんだんとスパイラルで悪くなってきた断末魔のような状況である。

このまま10年この国は持つのだろうか。そういう不安がみんな持っている。もちろん資産としてはあるのだが、大半の資産はお年寄りが持っていて、働くことで得られる収入はどんどん下がっている。このままでは、働くモチベーションは完全に失われるだろう。

派手な民族ではないので、危機は表面化しないだろうが、取り返しがつかない状況になってしまえば、どんな政策も意味を持たなくなるのだ。

ディストピアが現実に

日本の現状を悲観的に見る人が増えている。ちょっと数年前まで、コロナ前まではそんなことを言う人はほとんどいなかった。コロナ後になり世界が不安定になってきたことが要因だと思うのだが、そもそも、その予兆はすでにあったのではないだろうか。きっかけがコロナだということだけで、こうなることは予測できた。

日本というよりも世界的な現象が起きている。それはまさに2006年に出版された「フラット化した社会」である。その言葉通り、現在はまさにフラット化した社会の弊害が起きている。

フラット化する前の状況を考えればわかるが、人々は均等に知識や機会が与えられていなかったように思う。それがネットワークの普及、スマホの普及などIT技術が進んだことで垣根を越えてしまった。これを印象的に思い出されたのは数ヶ月前にリリースしたchatGPTによるAIの大衆化であろう。

AIが大衆化したことでこのフラット化した社会はさらにフラット化された。

日本はこのフラット化した社会に全く対応できていない。というよりもフラット化したことを無視するような政策を続けているのだ。学歴と大企業といったわかりやすい評価軸をいまだに信じている。

現実には誰も優位性はないのに関わらずだ。これにより大衆はますます賢くなる機会が与えられている。この流れは止めることはできない。

大衆が賢くなると困るのは政府である。日本は大量の老人がいるのが助かっているのだ。ほとんどの老人はテレビでしか知識を得ることができない。今までそれで多くの情報を隠蔽することができた。

一番いい例がジャニーズ問題であろう。噂では皆が知っていてもテレビでは報道されていない以上、誰もそれを噂以上に真実として追求してこなかった。それがまさにフラット化したことで、ネットでは連日炎上している。

インターネットが大衆化され、老人を含めてリテラシーが確保できれば、そこからは本当の地獄を見ることになる。

あらゆる情報は可視化されてくる。それによって人々は判断し行動を行うことになる。自民党がこれ以上支持されることはないと予想できるのだ。

これに対抗する手段はもうない。twitter工作では対応できないからだ。世論誘導はできない。そしてなおグローバルで評価されていくのだ。

その時に起こること。それはディストピアである。まさに今、利権構造がフラット社会によって少しずつ壊されるだろう。革命前夜である。

老人が多いからと安心している時間は少しずつなくなっていくのだ。