JS BAR

バーでの独り言

働かない自分

なんで自分は働かないのだろうか? そもそもなんで生きているのだろうか?

僕は人生の賭けをした。そして負けた。そう負けたのだ。だから、これからの人生を惨めに生きることは全然構わない。敗者だからだ。

それがあるから働かないのだろうか?

そもそも生まれてから今まで本気で働いたことがあっただろうか?

働くことがきらいなのだろうか?

くだらない仕事だろうと給料が低い仕事だろうと僕は働くことが嫌いだとは思っていない。

確かに自分は見失っていたのだ。そして今でも見失っているのかもしれない。

どう生きるべきかがわからなくなったのだ。

賭けに負けたからと言ってふてくされてもいないし、悔しい気持ちもない。ただ、僕の今回の人生はこれで終わったと思っているのだ。もちろんこれからもがんばりたいのだが、なぜだか終わった気がする。そう、大きな賭けをしたわけだから、それに負けたのはもうこれで終わったとしか思えないのだ。

どう言葉に表現して良いかはわからないが、もう大きな賭け事はしない。人生を楽しみたい。もっと普通に生きたいのだ。

でも、なんで負けたののだろうか? 僕は僕なりにがんばったつもりだった。それはいろいろと批判されることは事実だが、自分としては精一杯がんばったつもりだ。だから、それが報われないわけだから、もう疲れたのだ。

人生を悲観してないが、一度の人生の賭けに失敗した以上、もうこの人生で生きる意味は変わってしまった。凡人として余生を生きたいのだ。もう何も大きなことは望まない。ただただ、普通に生きて普通に死にたい。それさえ許されないとしたら、僕は神を否定するだろう。

僕は神様を信じてるが、それでもやはり見捨てられた感じがするのは何故だろうか? 十分今の状態が幸せだからなのか? 僕が望む幸せはとは違う気がするのだ。もっと普通にもっと静かに生きたいのだ。

もうそういう願いも叶えることはできないかもしれない。もうすぐ死ぬ運命にある僕にとって、あまり意味がなかったのかもしれない。まあそれでもいいだろう。自分の人生なんて最初からたいした意味などなかったと諦めればいいのだから。

ただ、負けた意味はまだわからない。負けていないのかもしれないが、少なくても今の自分はもう人生の勝敗に何の期待もない。

絶望する人生を送ることさえできないのかもしれない。諦めなさいという声が聞こえる。だからもう諦めるのだ。

ただただ、つまらない人生なのだ。生まれてくる価値があったとは思えないのは贅沢な悩みなのだろうか? 疲れる人生だ。