JS BAR

バーでの独り言

日本終了の合図

長く生きていると時代の流れを感じることがある。歴史は時間という次元を分析したものだから、長く生きればそれだけ歴史を感じることができる。

1966年に生まれて今生きている2022年というものが重く感じられるようだ。

それにしても日本という国はこれからどうなるのだろうか。いろんな問題を先送りにしてしまったことで不具合が発生している。それが解決できていないことで世界に遅れてしまった。

ロシアを見てみると、いかに国民が政府に無関心かがわかる。少し考えればロシア国民にとって不利益な政府なのに、それに無関心であったために起こってしまった。日本もさまざまな不都合が起こっている。国民は薄々気がついているがどうすることもできない。誰もそれを追求する元気がないのだ。

いくら民主主義と言ってもやはり人間という生き物の限界を感じる。人間は禁欲的ではない。快楽主義者なのだ。

これからの人類は荒廃した民主主義の脆弱さを嫌というほど味わうことだろう。もう誰も変わることができない。文明が成熟しすぎた代償というべきか。

唯一望みがあるとすれば、人類の変化を強制させるイベントか科学技術だろう。

前者は天変地異である。現在問題になっている温暖化が進むことによるさらなる被害によるものだ。誰もそれに期待することはないだろうが、実際に文明を変えてきたのはこの天変地異なのだ。私は実は期待しているのだ。自分がたとえ犠牲者となっても人類の歴史として区切りをつけるためならば仕方ないだろう。このまま荒廃することの方が痛々しい気がするのだ。

後者はインターネットによる革命以上の科学技術である。電気自動車が注目を浴びているがこのような技術は人類の変化を強制しない。それよりも例えば核融合反応による発電の成功のように人類の生活を一変することができる技術である。これらの技術はいつ完成されるかは定かでない。ある日突然に課題が解決するというものでもない。しかし、どこか突発的なブレイクスルーによって解決することで、人類の生活を変える強制力を持つことが可能となる。

天変地異の方が科学技術よりも早く起こる可能性が高い気がする。巨大な隕石による人類のリセットになればまた地道にやり直すしかない。現代の文明が地球上初めてであることは証明できない。

日本終了の合図と書いたのは、そろそろ日本という国が今までは全く違うスタンスで変革する時期が近づいてきたという直感なのだ。それは明日とか50年後とか時期は明確にはならないが、もう後戻りできない点を超えていると感じている。

日本が日本であり続けることが世界にとっていいことかどうかはわからない。こうして書かれた日本語を利用する人も減っていくだろう。そうなれば、必然的に日本は日本という国であり続けることは難しくなっていくと考えるのだ。

人口減少、大量の移民など日本が抱える問題はもう解決できないところまで来ている。それがもっともっと加速されることで、日本の終了への序章が始まるのである。