JS BAR

バーでの独り言

山下達郎さんの発言にみるノンポリの限界

山下達郎さんのジャニー喜多川さんの発言が炎上している。私は学生時代からのファンでかれこれ40年になる。熱狂的かと言えばそうではないが、RIDE ON TIMEの時から注目しLPを買ったりしていた初期のファンである。

僕が聴いていた時にはそれほどメジャーではなく、メディアに出ないので顔も分からず、ただ音楽が良かっただけの音楽ファンである。サウンドは素晴らしく、洋楽しか聴かなかった私は彼の音楽だけは例外で聴いていた。だから最近海外でも注目されていると聞いてもあまり驚かない。日本を代表するミュージシャンである。

この問題は、日本という国が従来のノンポリを貫くことができなくなった時代の象徴であろう。彼の生い立ちからするとまさに学生運動で人生を狂わされた世代であり、学生運動に少なからず恨みがあるのであろう。私はその後の世代なので学生運動は小学生の時の思い出となるあさま山荘事件くらいしか知らない。

あの世代はノンポリになることが唯一の生きることだった。今にして思えば表面的には日本は独立国家であるが、あの頃はまだ占領政策が続いていた時代だ。もちろん今でも占領政策が続いていると言ってもいいのだが、特に学生運動の時には米国の言いなりだっただろう。

結果的に学生運動は無駄に終わった。戦後と同様に誰も学生運動を語らなくなった。つまりノンポリの時代なのだ。

しかし、現在、ノンポリで済まされる時代でなくなった。それは米国が世界で相対的に弱くなったことで、その歪みが噴出してきたからだ。昨今の首相の支持率が下がっているのは偶然ではない。米国追従が我々の生活をどんどん苦しくしていることがネットによって明らかになってきたからだ。どう考えても説明責任がない状態での法律の制定が増えてきたことで、国民の方ではなく米国を見ているとしか見られないのだ。

多分、首相になるとどこか連れて行かれて洗脳させられるのかもしれない。

まあ、冗談かもしれないが嘘でもなさそうな感じがする。

そういった国民の気付きが少しずつ支持率を下げている理由かもしれない。国民は馬鹿かもしれないが、大馬鹿ではない証拠である。

つまり今まではノンポリこそが国民が幸せに生きる知恵だったのだ。しかし、ここまで日本が衰退すれば何が原因なのかと言うことを考えなければいけない。つまりノンポリでは生きていけない時代が来たのである。

その中で、山下達郎さんの発言はまさにノンポリを貫いた発言である。私は知らんというスタンスは今までと変わらない。しかし、もう日本はノンポリを貫くことができないくらい腐敗しているのだ。それを国民は感じている。だから、彼のノンポリ発言、つまり責任放棄発言に腹を立てているのだ。音楽もノンポリなのだ。と彼は思っているが、そもそも音楽がノンポリなのかといえば、そうではない、時代時代に音楽は体制側に利用されてきたのだ。それに反発する形でフォークが出てきた。ニューミュージックは流行った時代だけがノンポリ全盛なのだ。

つまり、また音楽はノンポリから外れてきている時代なのだ。

ジャニー喜多川さんの功績は素晴らしいが、ただ、それが法律的に良いかという問題とは別であり、やはり我々は一市民として法律をベースに生きている。昨今の不倫に対するバッシングは法律的ではなくまさに倫理的なことが求められている厳しい時代の到来なのだ。個人的にはやりすぎだと思うのだが、それでも以前と違い、法律を守らない者へのバッシングは今の時代では当然となっている。その上で、彼の発言は少し古くさいのである。つまり昭和臭がするのである。

昭和という時代は私も好きであるが、やはりそこで行われたことは醜いことが多いのもの事実である。私も残業をたくさんさせられた世代なので、ブラック企業が当たり前の時代だったのである。

彼はその時代の価値観としての発言であり、若い人には違和感があるのはわかる。

韓国では世代間の戦いが激しくなってきている。同じように日本でもこの発言から世代間の戦いの一つの断面に思えてくる。