JS BAR

バーでの独り言

国葬

安倍元首相の国葬が昨日行われた。個人的には安倍さんは好きな人であったのでとても残念であった。ある意味で日本にない政治家だったように思われる。日本人は安倍さんのような人は生理的に苦手な感じがする。はっきりした考え方がダメなようだ。岸田首相が当初支持率が高かったのは何もしないでぼやかしていたからだ。日本人はぼやかすことの方が評価が高い。はっきりすればするほど評価を落とすという世界でも摩訶不思議な国民だと思う。

物事をはっきりさせることは大事なのだが、日本のように平和でどこからも侵略されたことがない国は理解できない。勝手に自分の国が侵略されて殺害された歴史がないからだ。日本が世界と異質なのはまさにこの平和の状態だからだ。侵略されているウクライナを見ればそれがどれだけ理不尽であろうとも現実として起こっているのだ。まるで古い映画を見ているような感覚さえある。はっきり決断しなければ、国が滅んでしまうかもしれない。という危機感がこの国がない。

確かに在任期間が長いと例え本人にその気がなくなっても忖度が起こり、独裁的な振る舞いになってしまう。人間の性なのだ。だから必ず任期がある。民主主義の世界では当たり前であるが、制度は大事である。

プーチンが独裁者になったのは決して本人の気質だけではない。国民が望んだからだ。独裁者というととても悪いイメージであるが、ビジネスの世界では独裁者は多い。成功している会社はカリスマ社長が多い。政治ではあり得ない長期に渡り君臨することがビジネスでは当たり前なのだ。ビジネスは効率の世界だから、効率を優先すれば独裁者がいた方がいいというわけである。プーチンも当初は世界から評価されていたのだ。

日本に独裁者は必要なという意見が当たり前のように語られているが、人間の奥底には独裁者を望む意識がある。独裁者が全て悪意を持つわけではない。独裁者であるからこそ物事が進み国民が幸せになることもある。ただ、独裁者自身がだんだん肥大化した欲望による弊害を生むという意識である。

宗教における神様はまさに人間が作り出した独裁者である。ありがたいことに神様は決して現れないし、悪意も感じられない。しかし人間はそれに従いたいと思って生きている。

我々が考えなければいけないのは、独裁者がいない時代において、どう生きるべきかということなのだ。それが返って心を蝕むことになるのかもしれない。そう考えると人間は自ら滅びゆく生物なのかもしれない。