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バーでの独り言

マイナンバーの問題はITを馬鹿にしたツケである

マイナンバーの問題がクローズアップされている。人口比で考えれば、たいしたエラーではないが、ゼロリスクという無理難題を目指そうとする日本人には許されないことかもしれない。しかし、問題の本質はそこではないだろう。

 

それは、そもそも国がITを馬鹿にしてきたからである。本気でITを推進する気があれば、このようなことは起きない。何年も何年も先延ばしをしてきていきなり神業のようにマイナンバーを切り札に変えようとしても無駄である。

 

以前から言われてきたように日本のIT産業は建設業と同様に多重請負業になっている。誰がそんなやり方を認めたかを糾弾したい処だが、決めた人間は知らんふりしているだろう。

 

この多重請負構造は日本のIT産業を歪め、開発者をダンピングしてきた。結果的に優秀なプログラマーが育たないことになる。優秀なプログラマーは日本には大勢いるが、それは副業か趣味の世界でやっている人が多く、本業にした途端、買い叩かれてきた。

 

結果的に、日本には本業で稼げるプログラマーは少なくなってしまったのだ。

 

このような構造を生むだした日本は世界的に見て異質である。IT産業というとても大切な産業を虐げてきた罪は重い。失われた30年だと言われているが、このままいけば二度と日本は復活せず、没落することは必然である。

 

このような構造は派遣システムでも同様である。インドのように階層化すれば経済は停滞することはすぐにわかるだろう。

 

大前研一さんが日本に移民を入れる方がいいという発言はほとんどの日本人は反感を持つと考えている。しかし、日本人が日本人を利権により階層化し、やる気を奪えば停滞するのは必然である。それは戦国時代による実力主義から儒教朱子学)による長男優遇、年功序列に移ったことと同じである。

 

結局、昭和、平成は江戸時代から続いている古い階層化を壊すことができなかった。令和も数年経っているが、まだまだ江戸時代のような保守的な考え方を続けているように見受けられる。

 

このまま日本が没落することで、古臭い儒教が崩壊しるのは時間の問題である。それがソフトランディングがハードランディングかの違いだけである。

 

今、世界は新秩序に向けて激しい覇権争いをしている。なかなか決着がつかないだろう。2050年まで続くと予想する。そして、日本が変わるのもそのあたりだろう。その時にはもう僕自身、この世にいない。だから、そんな未来までは期待できないし、期待する気もない。

 

少しずつ少しずつ世の中は変わるだろう。ただその変化は自分の寿命から見るとあまりに遅い、残念ながら自分が死ぬまではこのイライラを抱えて生きていくことになる。

コミュニケーションの必要性

僕が若い時は、コミュニケーション力というのはそんなに重要でなかったきたする。それよりも能力があることや従順であることが重要だったのだ。

しかし、今ではそれよりももっと大事なことはコミュニケーションである。

ある意味それは必然なのだ。コンピュータが普及するにつれ、仕事の能力が変わらなくなってしまった。

そうなると人間に求められるのはコミュニケーション力が際立ってくるのである。コミュニケーション力がないとどんなに頭が良くても使えないのだ。

それが良いかどうかはわからないが、今はそういう時代。知識全盛の時代よりも大切ではあるが、全てがコミュニケーションだと効率がいいかといえばそうではないだろう。

人間の効率性を考えるとすると、何が効率的なのかということがわからなくなる。AIは確かに効率がいいのだが、それは仕事の一部を切り出した時の効率性であり、大きな仕事やプロジェクトとなると人が要になるのは変わらないだろう。

自分の後悔はもっともっとこのコミュニケーション上の効率性を考えるべきだった。あくまでも単発的な効率ばかり重要視してしまったようだ。これからの時代はコミュニケーションとAIを組み合わせたトータル効率性が両輪として求められていく。

時代はどんどん変わってきている。世の中に存在する仕事はますます複雑になっている。従来のやり方では満足しなくなってきたのだ。圧倒的なパフォーマンスが求められていくのだ。

仕事ができる人が増えたことはとてもいい。

 

 

岸田首相の支持率が落ちている理由

岸田首相の支持率が落ちているそうだ。私はその理由こそ自民党の現状を表しているような気がする。

 

自民党議員も2世が増えてきた。個人的に2世議員は悪いとは思わない。小さい頃からお父さんの仕事を見て育った方が効率良く働けるからだ。

ただ、問題なのは、自民党が長い間政権をとったことで、しがらみが増えてしまったことだ。金権政治だった頃の方がしがらみが少なかった。

その時は金でしかなびかなかったのだろう。金権政治は悪いが、それがなくなってもしがらみによる利権政治が増えてしまったことが、結果的に日本国全体の成長ができなくなってしまったのではないだろうか。

誰も日本が成長してほしいと日本人ならば思うのならば、組織が硬直化し、利権が増えてきた時に果たしてそれができるのだろうか?

日本に民主主義ができて80年経ったが、民主主義にも限界があるように思う。民主主義が抱える病が増えてきたのだろう。

システムの話をすると部分最適かと全体最適化という言葉が出てくる。もちろん全体最適化が一番効率が良い。しかし、それを国に当てはめようとするとかなり難しい。

日本が抱える問題はこの全体最適化がもうできなくなってしまったからなのだ。もし全体最適化をしたならば、多くの利権を持つ者が不利益になるだろう。人は人類が生存するために個人が不幸になることを望むことはできないのだ。我々自身が自然の中では淘汰される側であり、神様の視点に立つことはできない。

つまり、日本という国が残ることよりも個々人が不幸にならないことを望むことを優先させているからである。

小さい時に世界はいずれ統一されると信じていた。しかし、反面そうなったら日本人は英語も話せないので大変だろうなと思っていた。つまり、全体統合の考え方と局所的な幸せは矛盾してしまうことが子供にもわかっていたのだ。

この先、起こることは世界規模の全体最適化へ向けての厳しい軋轢なのだ。日本はすでに厳しい時代だが、さらに厳しくなる。そうなると日本の政治はもうなすすべくことはない。

国民はどんどん貧しくなり、どんどんシステマティックになる。世界との競争により、日本は英語が話せる情報圏とは離れ、相当不利な争いになる。

若い時に海外に移住したかった。しがらみをたち国際的な戦いに身を投じたかった。残念ながら実力もなく、日本で甘い生活をしてきた自分にとって、その甘さもそろそろ苦さに変わっていく気がする。

日本人は国際人とローカル人とに完全に別れるのだ。それはもうインドでは当たり前になっているし、中国人としても当たり前なのだ。そして、アジア諸国もそれを当然として、大きなアジアの国際人の連帯が生まれつつある。そうするとローカルな人との経済的な格差は顕著になるだろう。

今、日本での勝ち組は大企業のサラリーマンであるが、今後はグローバルアジア人になることが勝ち組の条件になるだろう。つまり国際人にならないと豊かになれない時代が来ているのだ。

もう30年前からうっすら思っていたことがようやく当たり前になっていく。

日本はもう利権を守ることだけに命をかけている人たちが少ないパイを取り合うことでしか生きられない社会になるだろう。

時代は止められないのだ。

山下達郎さんの発言にみるノンポリの限界

山下達郎さんのジャニー喜多川さんの発言が炎上している。私は学生時代からのファンでかれこれ40年になる。熱狂的かと言えばそうではないが、RIDE ON TIMEの時から注目しLPを買ったりしていた初期のファンである。

僕が聴いていた時にはそれほどメジャーではなく、メディアに出ないので顔も分からず、ただ音楽が良かっただけの音楽ファンである。サウンドは素晴らしく、洋楽しか聴かなかった私は彼の音楽だけは例外で聴いていた。だから最近海外でも注目されていると聞いてもあまり驚かない。日本を代表するミュージシャンである。

この問題は、日本という国が従来のノンポリを貫くことができなくなった時代の象徴であろう。彼の生い立ちからするとまさに学生運動で人生を狂わされた世代であり、学生運動に少なからず恨みがあるのであろう。私はその後の世代なので学生運動は小学生の時の思い出となるあさま山荘事件くらいしか知らない。

あの世代はノンポリになることが唯一の生きることだった。今にして思えば表面的には日本は独立国家であるが、あの頃はまだ占領政策が続いていた時代だ。もちろん今でも占領政策が続いていると言ってもいいのだが、特に学生運動の時には米国の言いなりだっただろう。

結果的に学生運動は無駄に終わった。戦後と同様に誰も学生運動を語らなくなった。つまりノンポリの時代なのだ。

しかし、現在、ノンポリで済まされる時代でなくなった。それは米国が世界で相対的に弱くなったことで、その歪みが噴出してきたからだ。昨今の首相の支持率が下がっているのは偶然ではない。米国追従が我々の生活をどんどん苦しくしていることがネットによって明らかになってきたからだ。どう考えても説明責任がない状態での法律の制定が増えてきたことで、国民の方ではなく米国を見ているとしか見られないのだ。

多分、首相になるとどこか連れて行かれて洗脳させられるのかもしれない。

まあ、冗談かもしれないが嘘でもなさそうな感じがする。

そういった国民の気付きが少しずつ支持率を下げている理由かもしれない。国民は馬鹿かもしれないが、大馬鹿ではない証拠である。

つまり今まではノンポリこそが国民が幸せに生きる知恵だったのだ。しかし、ここまで日本が衰退すれば何が原因なのかと言うことを考えなければいけない。つまりノンポリでは生きていけない時代が来たのである。

その中で、山下達郎さんの発言はまさにノンポリを貫いた発言である。私は知らんというスタンスは今までと変わらない。しかし、もう日本はノンポリを貫くことができないくらい腐敗しているのだ。それを国民は感じている。だから、彼のノンポリ発言、つまり責任放棄発言に腹を立てているのだ。音楽もノンポリなのだ。と彼は思っているが、そもそも音楽がノンポリなのかといえば、そうではない、時代時代に音楽は体制側に利用されてきたのだ。それに反発する形でフォークが出てきた。ニューミュージックは流行った時代だけがノンポリ全盛なのだ。

つまり、また音楽はノンポリから外れてきている時代なのだ。

ジャニー喜多川さんの功績は素晴らしいが、ただ、それが法律的に良いかという問題とは別であり、やはり我々は一市民として法律をベースに生きている。昨今の不倫に対するバッシングは法律的ではなくまさに倫理的なことが求められている厳しい時代の到来なのだ。個人的にはやりすぎだと思うのだが、それでも以前と違い、法律を守らない者へのバッシングは今の時代では当然となっている。その上で、彼の発言は少し古くさいのである。つまり昭和臭がするのである。

昭和という時代は私も好きであるが、やはりそこで行われたことは醜いことが多いのもの事実である。私も残業をたくさんさせられた世代なので、ブラック企業が当たり前の時代だったのである。

彼はその時代の価値観としての発言であり、若い人には違和感があるのはわかる。

韓国では世代間の戦いが激しくなってきている。同じように日本でもこの発言から世代間の戦いの一つの断面に思えてくる。

 

無闇に明るい

無闇に明るいのだ。何故だろうか?

不思議と明るい。どうしようもなく明るい。自分の気持ちを考えると何でこんなに明るいのかわからない。なんでこんなに明るいかがわからないのだ。

それでいいだろう。何故かなんて聞きたくもない。今このキーボードは赤軸で書いている。赤軸とは何だろうか。わからない。

 

静かにキーボードが書けるそうであるが、そんなこと考えたこともないのである。

 

 

自分のやりたいこと

一生で活躍できる時期なんてそんなに長くないと思う。しかし、寿命が長くなり、まだまだ肉体が死ぬ気配がないので、これからの人生、どのように生きていくかを考えなければいけない。

はっきり書けば、今まで自分はそんなに生きることに真剣に向き合っていなかったのではないかと思う。とても恥ずかしいことなのだが、惰性で生きて来た気がする。それから今までは何か見えない力が働いて誘導されていたように思う。それが今回見えなくなったのだ。

自分は何をすればいいのか。何をしに生まれてきたのか。わからない。自分の原点はなんなのか。

人生において方向性はとても大事である。その方向性がわからないのだ。

これは正直、今の意識の方が正しい気がする。大きな野心を持ってきたけど、それ叶わないというか自分のミッションでないと思ったときに、どう生きればいいのか。どう死ねばいいいのかわからない。

何もしなかった人生ではなかっただろう。それなりに頑張ってきたと思うのだが、終わってみると思い出せない。

明日にも癌がわかって、レベル4だと言われたら、何をするだろうか。今自分はまさにそのような状況として生きているのだ

人生に恨むことはないが、まだまだやらなければいけないことがあった気もする。自分の方向性を見つけたいと思う。

芸能人の晩年をみると、充実した晩年を送っている人は少ない。孤独に死んでいった人も多いのではないだろうか。

自分はどう死んでいけばいいのか。それは自分が最後にどう生きるべきかということと同じだろう。

今、死ねば、ああ楽しい人生だったと言えるのだが、いつ死ねるかわかっていたら予定が立てやすい。

自分が蒔いた種を刈り取ることになるのだ。

 

こんなにGWが辛いのか?

今日はGWだがまだ展望が見えない。なんでこんなに辛いのだろうか、どうしていいか、わからない。

こんなに辛いならば死にたい。何でこうなったのか、わからない。

何か大きな罰なのだろう。